中国の後漢末期から群雄割拠するなかで繰り広げられた「三国志」。覇を争った魏・呉・蜀の三国による攻防に胸躍らせ、武勇、知謀に秀でた英雄に感嘆し、信義を貫く人物に心ひかれ、非道や背信、諫言(かんげん)より甘言に流される振る舞いを戒めとする――。
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時空を超えて、この歴史舞台と人間ドラマに胸ときめかせる人は私だけではないでしょう。三国志ファンには、岩波文庫の「完訳 三国志」や吉川英治「三国志」、NHKの人形劇三国志、漫画やゲームなど、その入り口は様々あるようです。私は中学生時代に岩波を読んだのが最初で、幾度も読み返していますが、面白いのは、経験と年を重ねるにつれ、その都度、三国志の中で魅了される人物が変化し、新たな自分を再発見できることです。三国志はそんな生き様を考える材料を与えてくれるだけではありません。最近、外交・安全保障を取材するなかで常々思うのは、いまの外交・安全保障を考えるうえでもヒントを与えてくれる。米中対立など複雑な国際情勢で立ち振る舞うには、日本にも「三国志」的発想が求められる。そんな思いを強くしています。
米国での知名度は
中国は何を考え、何を達成しようとしているのか。最近は、米国の大学の安全保障や外交の授業では、軍事専門家クラウゼビッツの「戦争論」に加え、中国の「孫子」を扱うことが増えてきています。私が2013年から留学していた米国防大学でも「孫子」を教えていました。確かに「戦わずして勝つ」など、孫子の兵法は中国の発想や出方を探るうえで、よいテキストになるでしょう。しかし、「孫子」に比べ、「三国志(Three Kingdom Story)」は米国でほとんど知られていないのに驚きました。
授業で「孫子もよいが、三国志こそ学ぶべきではないか」と私が発言すると、授業に参加していた軍人や官僚がぽかんと口を開け、「三国志」とは何か、上手でもない英語で説明するのにえらく苦労したのを覚えています。なぜ三国志なのか。単に、魏の曹操が孫子に着目し、注釈をつけたものが、世に出た「孫子の兵法」の原典になっているということだけではありません。米国の対立構図のとらえ方が、常に「敵か、味方か」という二元論発想が強いように思えたからでした。
東西冷戦の当時、ソ連を「敵」と見ていた米国は、ソ連のアフガニスタン侵攻で、間接的に「敵の敵」であるイスラム主義勢力を支援。後に米同時多発テロの首謀者とされるオサマ・ビンラディン氏が、米国に牙をむくことになります。イランを敵視する米国は、それに対抗させるべく、隣国イラクのサダム・フセイン政権を支援。当時、米特使としてイラクを訪れ、フセイン大統領と握手したラムズフェルド氏が、後のブッシュ政権の国防長官としてイラク戦争を指揮することになるとは、誰が想像したでしょうか。この米国の「二元論」的発想は、中国映画が「三国志」を題材に、「世界に通用する映画」を目指して製作したという「レッドクリフ」にも表れているように思います。
■三国志、映画「レッドクリフ…
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