Pages

Thursday, April 1, 2021

八代市の日本遺産 水島は水島町じゃないの? 背景に干拓と江戸の文化財保護 | 熊本日日新聞社 - 熊本日日新聞

 疑問の声を寄せたのは水島町出身の女性(45)=熊本市。確かに八代市のホームページでは「水島町地先」とある。ネット上では「水島町」とした観光情報も散見された。一方、文化庁の文化財データベースは「植柳下町」と明記している。

 どちらが正しいのか? 八代市文化振興課に確認すると、水島は飛び地で、「植柳下町」が正解だった。

 同課によると、水島町一帯は江戸時代後期の干拓事業で誕生した陸地。それ以前は植柳下町までが海岸線だったため、水島も同町になったという。

 干拓事業は水島より沖合まで進んだが、当時、熊本藩の国学者・和田厳足[いずたり]が、由緒ある島として残すことを進言したため、陸地化を逃れたという。現在も海岸線が水島を避けるように、への字型に湾曲していることが分かる。

Let's block ads! (Why?)


からの記事と詳細 ( 八代市の日本遺産 水島は水島町じゃないの? 背景に干拓と江戸の文化財保護 | 熊本日日新聞社 - 熊本日日新聞 )
https://ift.tt/3cBHFWx

No comments:

Post a Comment